感じてもだえる愛の重さ…二藤建人の愛憎の世界
感じてもだえる愛の重さ…二藤建人の愛憎の世界
by 刃物屋いとう
二人が完全に一体化して相手の全てを受け入れようとして、感じてもだえあう…
喜び組で知られる海外のテクニックを用いて二人が一緒になろうとした行為が作品化された。
そんな過激な世界が、私の初体験となった。
その後も、布団に入って愛し合う二人の声を聴きながら抱きしめて振動を感じたり、
愛し合う二人がぐちょぐちょに濡れていたり、
体を押し付けて体全体を覆う繊毛で世界を感じたり、
上下に体を重ねることで相手の重さを感じたり…
そんな「愛の重さ」を感じてもだえることを体験が二藤建人のアートなのだ。
だから、愛し合う二人がぐちょぐちょに濡れる映像には、愛し合って出来た子供も映り、狭くやわらかな細い洞窟の奥には怪しげな赤い世界が広がっているのだろう…
歓楽街などもあるカオスな江戸の下町である神田に造られた赤みを帯びた怪しげな四畳半の狭い部屋で、人の声と思えない人の叫び越えを聞きながら、私は感じていた。
だが、そもそも別々に育った二人が完全に相手の考えや感じ方を受け入れることが出来るのだろうか?
相手の全てを受け入れようとする愛。
その一方で、相手にも自分の全てを受け入れてもらいたいという欲望を持つのが、愛し合う人々の常だ。
しかし、生物学的な遺伝子も育ちも異なる人同士が全てを受け入れあうことは不可能だ。
それゆえ、愛し合う者同士は「可愛さ余って憎さ百倍」という言葉のように、好きなのに喧嘩してしまう。
そんなことは、文学や演劇、映画、ドラマなどの世界では常識であり、愛憎劇は世界中に広がる普遍的な文化と言って良いだろう。
また、初日に行われたトークによれば、彼の妻は、ホテルに勤めており、勤め先の客室内に置かれた過激な「愛」の本で最近大騒動となったという。
彼の妻の勤め先の社長は「愛国者」を標榜しており、害をもたらす危険な隣国から祖国を守ることを主張したその本がホテルの全客室に置かれている。
その中で強く攻撃された中国は市民も政府も激しく反発し、「愛国者」を標榜する一部の日本人達は社長を支持して排外的な「愛国」を主張し、激しく対立したのだ。
愛するものを守るためには、命がけで敵と戦うことも辞さない…こうした言葉に表れている通り、時に他者との戦いも生むのだ。
オノ・ヨーコとジョン・レノンの「ベッドイン」に代表されるように「愛と平和(ラブ・アンド・ピース)」として平和運動の象徴ともなる「愛」。
だが、祖国を守るための戦争を生むのもまた「愛」なのだ。
では、このような「愛」が持つ「戦争と平和」はどうとらえるべきなのだろうか?
二藤建人も参加した昨年の「戦争」をテーマとしたグループ展。
この時、二藤は夫婦喧嘩という愛し合う二人の争いを爆弾を思わせるガスボンベの中に仕込み、それを布団の中に入って抱きしめて聴きながら、その音の振動を感じさせる体験型の作品を出していた。
そう、日常生活の中の愛憎と「戦争と平和」を相通ずるものとして捉え、作品化したのだ。
そして、このトークで「平和という言葉は嘘くさい」という来場者の中から言葉が出た。
この言葉を戦争を知らない世代の「平和ボケ」と批判することは容易い。
だが、その批判は妥当なのだろうか?
多くの宗教には言い方は異なるが「天国と地獄」がある。
釜茹で、針地獄など地獄で遭うとされる酷さは克明で実にリアルで、絶対に行きたくないと思うように描かれている。
しかし、天国や極楽浄土は一年中花が咲き乱れ、小鳥がさえずり、争いもない世界だそうだが、退屈そうでそこに行くことが幸せで楽しいことなのか実感できないのが共通している。
これが、世界の宗教の「天国と地獄」の共通項だというのが、筆者がかつてエッセイの結論であった。
では、なぜ天国や極楽浄土には誰もが実感できるようなリアリティがないのだろうか?
「衣食足りて礼節を知る」という言葉にあるように、最低限の幸せについては、ほとんど全ての人が思う共通認識があるといえるだろう。
だが、好きなことに没頭できることなどで生まれる究極の幸福は十人十色であり、みな違い、他人から見れば、何が楽しいのか理解できないことが、本人にとっての究極の幸福である「至福」となるのだ。
「酒池肉林に溺れる」のは悪いこととされているが、そうした欲望が満たされる世界こそが、実は幸せと感じる世界のはずなのだ。
だからこそ、「酒池肉林に溺れる」ことが出来ない天国や極楽浄土はリアリティーがないのだろう。
この点は「戦争と平和」についても同様だろう。
戦争の悲惨さは戦死や爆撃に巻き込まれた市民の凄惨さを克明に描くことで実感させることが可能だ。
しかし、平和は単に戦争に巻き込まれることで生じる悲劇を避けることで、人々が平穏につつがなく過ごせることを意味するものだ。
そうした平穏な暮らしを描くことは、自らや身内が戦争で生命や生活を失う経験をした人々にとっては、そのことは光り輝くものになる。
ところが、そうした戦争の悲劇を実感したことがない人間にとっては、自分たちが幸せな状態を保つことが出来てこその平和だ。
そう考えると、平和な世界は天国や極楽浄土を保とうとすることを意味するといって良いだろう。
ならば、「地獄絵図がリアルで、天国や極楽浄土がリアリティーがない」というのと同様に「戦争と平和」も「戦争の悲惨さはリアルだが、平和の良さにリアリティーがない」のは自然な感覚なのだろう。
人は「酒池肉林に溺れる」ような欲望の中に幸せを感じるのだ。
そんな人間にとって、他人の考えを押し付けられることは、耐え難いことになる。
それを強制的に刷り込む技術の極限とされるのが、北朝鮮の「洗脳教育」だ。
二藤は、大学時代から親しい西岳拡貴と2012年3月にフローリストギャラリーNで行なった「二貴岳人展」はそんな「洗脳」を互いに行うものであった。
この文章の冒頭に書いた通り、二人が完全に一体化して相手の全てを受け入れようとして、感じてもだえあう…ことになった過激な作品だ。
自我が崩壊するくらい二人が感じあうのは最高だ…というのはエロスの世界だが、洗脳で自我が崩壊する状態は危険で恐ろしかったという。
その時のメインの作品では、輸出などに使われる貨物の梱包用木箱に洗モニターが取り付けられ、中に入ると強制的に脳用の映像を見させられるものであった。
荷物の様に木箱に閉じ込められることの圧迫感や屈辱感に加え、ストイックなまでに簡素な雰囲気は社会主義的な生真面目さをも結果として表していて、美しくも楽しくもないが、刺激的な作品であった。
また、同時に私達オウム真理教世代にとっては、麻原彰晃が上九一色村のサティアンで捕まった時に狭い空間に閉じこもって隠れていたことも想起させ、その宗教性と過激な攻撃性を併せ持った世界にも思いを馳せさせるものに仕上がっていた。
そう、この時も宗教と戦争と平和とが、渾然一体となって表現されていたのだ。
キリストが十字架に貼り付けにされ、ムハンマドが軍隊を率いてイスラム帝国を築いたような攻撃性と、心を癒して人々の幸せと安寧を齎す平和性を、宗教は併せ持つ。
その宗教をアヘンとして否定し、合理主義的なラジカリズムで労働者の楽園を目指す社会主義・共産主義もまた、労働者の幸せと安寧を目指す反面、その敵とみなすものへの激しい攻撃性を持つ。
キリスト教が広まった初期におけるローマ帝国は「パックス・ロマーナ」と呼ばれる平和と繫栄の時代を生み、イスラム帝国の勃興期にはイスラム世界は内部では平和と繫栄を享受した。
二藤や私も生まれ育ち、現在もクラス日本でいえば、明治維新で神道や天皇を掲げることで独立を保つという平穏と近代化の成功という平和と繫栄を享受した。
だが、副作用としてヨーロッパは中世にキリスト教暗黒時代が到来して不自由で不穏な社会となって没落し、イスラム教過激派が跋扈して欧米などに植民地化されるなど没落。
日本も神国日本と称して不自由で不穏な社会となって15年戦争(満州事変から太平洋戦争まで)に突入し、国土も徹底的に交配することになった。
この様に、宗教と戦争と平和は微妙なバランス次第で、良くも悪くも機能するのだ。
日本に生まれたキリスト教徒という出自を持つ二藤建人は、教えられた「愛」を自らの体験を通じて試行し続けることを作品化してきた。
それ故に、「愛」の持つ二面性や「戦争と平和」も自らが体験する形で捜索するのだ。
そこに出て来るものが、愛憎と欲望にまみれた人間の「業」だとしても…
笠の内側に降る雨にぐちょぐちょに濡れている二藤建人とその妻、そして子供たち。
キリスト教の結婚式の誓いの言葉の「そうでないときも、この人を愛し…」の彼なりの解釈による映像作品だろう。
また、アンパンマンの天井画とその溶けてドロドロになった部屋。
自分の一部を食べ物として与えるような「愛」すら、裏表があるかもしれないと考えてしまう…愛憎が一体であるとの思索の表れた作品に違いない。
愛の持つ二面性…慈しみと諍いの狭間で人は揺れ動き続け、愛憎劇は永遠に幕が下りないのかもしれない。
ギャラリーN
http://www.f-g-n.jp/
二藤建人
http://kentonito.com/
by 刃物屋いとう
二人が完全に一体化して相手の全てを受け入れようとして、感じてもだえあう…
喜び組で知られる海外のテクニックを用いて二人が一緒になろうとした行為が作品化された。
そんな過激な世界が、私の初体験となった。
その後も、布団に入って愛し合う二人の声を聴きながら抱きしめて振動を感じたり、
愛し合う二人がぐちょぐちょに濡れていたり、
体を押し付けて体全体を覆う繊毛で世界を感じたり、
上下に体を重ねることで相手の重さを感じたり…
そんな「愛の重さ」を感じてもだえることを体験が二藤建人のアートなのだ。
だから、愛し合う二人がぐちょぐちょに濡れる映像には、愛し合って出来た子供も映り、狭くやわらかな細い洞窟の奥には怪しげな赤い世界が広がっているのだろう…
歓楽街などもあるカオスな江戸の下町である神田に造られた赤みを帯びた怪しげな四畳半の狭い部屋で、人の声と思えない人の叫び越えを聞きながら、私は感じていた。
だが、そもそも別々に育った二人が完全に相手の考えや感じ方を受け入れることが出来るのだろうか?
相手の全てを受け入れようとする愛。
その一方で、相手にも自分の全てを受け入れてもらいたいという欲望を持つのが、愛し合う人々の常だ。
しかし、生物学的な遺伝子も育ちも異なる人同士が全てを受け入れあうことは不可能だ。
それゆえ、愛し合う者同士は「可愛さ余って憎さ百倍」という言葉のように、好きなのに喧嘩してしまう。
そんなことは、文学や演劇、映画、ドラマなどの世界では常識であり、愛憎劇は世界中に広がる普遍的な文化と言って良いだろう。
また、初日に行われたトークによれば、彼の妻は、ホテルに勤めており、勤め先の客室内に置かれた過激な「愛」の本で最近大騒動となったという。
彼の妻の勤め先の社長は「愛国者」を標榜しており、害をもたらす危険な隣国から祖国を守ることを主張したその本がホテルの全客室に置かれている。
その中で強く攻撃された中国は市民も政府も激しく反発し、「愛国者」を標榜する一部の日本人達は社長を支持して排外的な「愛国」を主張し、激しく対立したのだ。
愛するものを守るためには、命がけで敵と戦うことも辞さない…こうした言葉に表れている通り、時に他者との戦いも生むのだ。
オノ・ヨーコとジョン・レノンの「ベッドイン」に代表されるように「愛と平和(ラブ・アンド・ピース)」として平和運動の象徴ともなる「愛」。
だが、祖国を守るための戦争を生むのもまた「愛」なのだ。
では、このような「愛」が持つ「戦争と平和」はどうとらえるべきなのだろうか?
二藤建人も参加した昨年の「戦争」をテーマとしたグループ展。
この時、二藤は夫婦喧嘩という愛し合う二人の争いを爆弾を思わせるガスボンベの中に仕込み、それを布団の中に入って抱きしめて聴きながら、その音の振動を感じさせる体験型の作品を出していた。
そう、日常生活の中の愛憎と「戦争と平和」を相通ずるものとして捉え、作品化したのだ。
そして、このトークで「平和という言葉は嘘くさい」という来場者の中から言葉が出た。
この言葉を戦争を知らない世代の「平和ボケ」と批判することは容易い。
だが、その批判は妥当なのだろうか?
多くの宗教には言い方は異なるが「天国と地獄」がある。
釜茹で、針地獄など地獄で遭うとされる酷さは克明で実にリアルで、絶対に行きたくないと思うように描かれている。
しかし、天国や極楽浄土は一年中花が咲き乱れ、小鳥がさえずり、争いもない世界だそうだが、退屈そうでそこに行くことが幸せで楽しいことなのか実感できないのが共通している。
これが、世界の宗教の「天国と地獄」の共通項だというのが、筆者がかつてエッセイの結論であった。
では、なぜ天国や極楽浄土には誰もが実感できるようなリアリティがないのだろうか?
「衣食足りて礼節を知る」という言葉にあるように、最低限の幸せについては、ほとんど全ての人が思う共通認識があるといえるだろう。
だが、好きなことに没頭できることなどで生まれる究極の幸福は十人十色であり、みな違い、他人から見れば、何が楽しいのか理解できないことが、本人にとっての究極の幸福である「至福」となるのだ。
「酒池肉林に溺れる」のは悪いこととされているが、そうした欲望が満たされる世界こそが、実は幸せと感じる世界のはずなのだ。
だからこそ、「酒池肉林に溺れる」ことが出来ない天国や極楽浄土はリアリティーがないのだろう。
この点は「戦争と平和」についても同様だろう。
戦争の悲惨さは戦死や爆撃に巻き込まれた市民の凄惨さを克明に描くことで実感させることが可能だ。
しかし、平和は単に戦争に巻き込まれることで生じる悲劇を避けることで、人々が平穏につつがなく過ごせることを意味するものだ。
そうした平穏な暮らしを描くことは、自らや身内が戦争で生命や生活を失う経験をした人々にとっては、そのことは光り輝くものになる。
ところが、そうした戦争の悲劇を実感したことがない人間にとっては、自分たちが幸せな状態を保つことが出来てこその平和だ。
そう考えると、平和な世界は天国や極楽浄土を保とうとすることを意味するといって良いだろう。
ならば、「地獄絵図がリアルで、天国や極楽浄土がリアリティーがない」というのと同様に「戦争と平和」も「戦争の悲惨さはリアルだが、平和の良さにリアリティーがない」のは自然な感覚なのだろう。
人は「酒池肉林に溺れる」ような欲望の中に幸せを感じるのだ。
そんな人間にとって、他人の考えを押し付けられることは、耐え難いことになる。
それを強制的に刷り込む技術の極限とされるのが、北朝鮮の「洗脳教育」だ。
二藤は、大学時代から親しい西岳拡貴と2012年3月にフローリストギャラリーNで行なった「二貴岳人展」はそんな「洗脳」を互いに行うものであった。
この文章の冒頭に書いた通り、二人が完全に一体化して相手の全てを受け入れようとして、感じてもだえあう…ことになった過激な作品だ。
自我が崩壊するくらい二人が感じあうのは最高だ…というのはエロスの世界だが、洗脳で自我が崩壊する状態は危険で恐ろしかったという。
その時のメインの作品では、輸出などに使われる貨物の梱包用木箱に洗モニターが取り付けられ、中に入ると強制的に脳用の映像を見させられるものであった。
荷物の様に木箱に閉じ込められることの圧迫感や屈辱感に加え、ストイックなまでに簡素な雰囲気は社会主義的な生真面目さをも結果として表していて、美しくも楽しくもないが、刺激的な作品であった。
また、同時に私達オウム真理教世代にとっては、麻原彰晃が上九一色村のサティアンで捕まった時に狭い空間に閉じこもって隠れていたことも想起させ、その宗教性と過激な攻撃性を併せ持った世界にも思いを馳せさせるものに仕上がっていた。
そう、この時も宗教と戦争と平和とが、渾然一体となって表現されていたのだ。
キリストが十字架に貼り付けにされ、ムハンマドが軍隊を率いてイスラム帝国を築いたような攻撃性と、心を癒して人々の幸せと安寧を齎す平和性を、宗教は併せ持つ。
その宗教をアヘンとして否定し、合理主義的なラジカリズムで労働者の楽園を目指す社会主義・共産主義もまた、労働者の幸せと安寧を目指す反面、その敵とみなすものへの激しい攻撃性を持つ。
キリスト教が広まった初期におけるローマ帝国は「パックス・ロマーナ」と呼ばれる平和と繫栄の時代を生み、イスラム帝国の勃興期にはイスラム世界は内部では平和と繫栄を享受した。
二藤や私も生まれ育ち、現在もクラス日本でいえば、明治維新で神道や天皇を掲げることで独立を保つという平穏と近代化の成功という平和と繫栄を享受した。
だが、副作用としてヨーロッパは中世にキリスト教暗黒時代が到来して不自由で不穏な社会となって没落し、イスラム教過激派が跋扈して欧米などに植民地化されるなど没落。
日本も神国日本と称して不自由で不穏な社会となって15年戦争(満州事変から太平洋戦争まで)に突入し、国土も徹底的に交配することになった。
この様に、宗教と戦争と平和は微妙なバランス次第で、良くも悪くも機能するのだ。
日本に生まれたキリスト教徒という出自を持つ二藤建人は、教えられた「愛」を自らの体験を通じて試行し続けることを作品化してきた。
それ故に、「愛」の持つ二面性や「戦争と平和」も自らが体験する形で捜索するのだ。
そこに出て来るものが、愛憎と欲望にまみれた人間の「業」だとしても…
笠の内側に降る雨にぐちょぐちょに濡れている二藤建人とその妻、そして子供たち。
キリスト教の結婚式の誓いの言葉の「そうでないときも、この人を愛し…」の彼なりの解釈による映像作品だろう。
また、アンパンマンの天井画とその溶けてドロドロになった部屋。
自分の一部を食べ物として与えるような「愛」すら、裏表があるかもしれないと考えてしまう…愛憎が一体であるとの思索の表れた作品に違いない。
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